|
Home > トラベル > 寺院・神社・教会 | |
| |
![]() |
次へ>> |
| ||||
| ||||
桂昌寺本堂の前脇ある、金剛力士立像2体が有名。口を大きく開けている阿(あ)形像、口を閉じているの吽(うん)の形像とともに、近世初頭の造形を示す優品です。 なおこの金剛力士立像2体は、もとは八代町富士神社の仁王門に祀られていたものです。 |
| ||||
| ||||
本尊の阿弥陀如来は現在、竜ヶ崎市所在の仏像彫刻のなかでは、最も古い像とされ、茨城県内の鎌倉前期の遺例の中でも、決して遜色のない優れた作品。市指定重要文化財。 |
|
| |||
| ||||
この寺の寺宝、画聖李竜眼の作の絹本着色十六羅漢像16幅(国指定重要文化財)が有名。曹堂宗開祖道元弾師が宗(中国)に渡り、天龍山で修行を積み、安貞元年(1223)帰朝のおりに、南宗の理宗皇帝から賜わったものとされています。初めは、曹堂宗本山永平寺にありましたが、その後、鎌倉の北条氏が保有し、鎌倉幕府滅亡のとき(1333)、新田義貞が戦火の中から持ち出し、金龍寺に保管したといわれています。 |
|
| ||
| |||
近江国志賀郡坂本村山王大権現の分霊を勧請し、馴馬地区の鎮守として祀ったのがはじまり。春祭りは4月13日以降の申の日、夏祭りは8月1日〜3日に行われます。 |
|
| ||
| |||
恵心阿闍梨の作といわれる十一面観音像(小通観世音)を本尊としていることで有名。天慶年間(938〜947)に平貞盛が父国香の菩堤を弔い、自領の民心を安定させるために、川原代に安楽寺を、小通の川岸に観音堂を建立したのが、小通幸谷の十一面観音の始まりといわれています。 |
|
| ||
| |||
愛宕中学校に隣接する丘の上にある愛宕神社は、寛永18(1641)年、時の領主伊達陸奥守忠宗(政宗の子)の創建。 社殿には龍や鷹のすぐれた彫刻があり、特に左甚五郎作と伝えられている鷹の彫刻は逸品で、『飛鳥恐れて避ける』と語り伝えられたといわれています。 |
|
| ||
| |||
昔この地域が水田だったころその中の小丘上の大きな松の根本に祀られていたのが頼政神社です。頼政の墓であると言い伝えられていますが、頼政の墓は大同小異の説を持つ墓が、他に二箇所存在しています。ことにここは、頼政であるか、その子仲綱の墓か二通りの説があります。 |
|
| |||
| ||||
医王院にある本尊、薬師如来は龍ヶ崎城主土岐胤倫公が創設した十二薬師のひとつ。木彫の立像で、非常に端麗な仏像です。この薬師如来は、33年に1回のご開帳の時にしかみることができません。 |
| |||
| |||
この社の祭神天御中主神社は、全知全能の造物主であり、天の真中とは、北斗七星(北極星)と考えられこの名がつきました。 この神社には平貞盛の駒止の石という伝説のある石があります。平将門の乱の時代、平貞盛の乗った馬が石の前で突然動かなくなり、不審に思った貞盛が周囲を見渡すと、星大明神の祠があった。そこで、この祠を参詣すると馬は再び動き出したということから、以後この石は「平貞盛の駒止の石」と呼ばれ、今でも星宮神社境内に残っています。 |
次へ>> |